当(とう)NPO(えぬぴーおー)の前身(ぜんしん)となる「ビオトープ・イタンキの会(かい)」が発足(はっそく)したのは2002年5月のことでした。当時(とうじ)「ビオトープ」という言葉(ことば)は私達(わたしたち)自身(じしん)にとっても馴染(なじ)みの薄(うす)いものでした。この間(かん)、自然(しぜん)保護(ほご)、環境(かんきょう)教育(きょういく)の活動(かつどう)に対(たい)する理解(りかい)・関心(かんしん)は年々(ねんねん)高(たか)まり、「ビオトープ」という言葉(ことば)も一般(いっぱん)に良(よ)く知(し)られるようになってきました。 活動(かつどう)の当初(とうしょ)は行政(ぎょうせい)の理解(りかい)を得(え)ることができず、大変(たいへん)長い時間(じかん)(じかん)を要(よう)しましたが、2006年から許可(きょか)が出(で)て現地(げんち)「潮見(しおみ)公園(こうえん)」での造成(ぞうせい)が可能(かのう)となりました。多(おお)くの個人(こじん)・団体(だんたい)等(とう)の寄付(きふ)・助成(じょせい)を仰(あお)いで年々(ねんねん)着実(ちゃくじつ)に造成(ぞうせい)を続(つづ)け、2011年4月の工事(こうじ)をもって造成(ぞうせい)計画(けいかく)を完了(かんりょう)することができました。また、8月には活動(かつどう)の趣旨(しゅし)に沿(そ)った形(かたち)で「室蘭(むろらん)市(し)ビオトープ憲章(けんしょう)」が制定(せいてい)され、行政(ぎょうせい)とNPO(えぬぴーおー)がそれぞれの立場(たちば)と能力(のうりょく)に応(おう)じて協働(きょうどう)することが可能(かのう)な状況(じょうきょう)となりました。 造成(ぞうせい)が進(すす)み水域(すいいき)としての広(ひろ)がりが増(ま)すにつれ自然(しぜん)の再生(さいせい)は順調(じゅんちょう)に進(すす)み、移植(いしょく)・放流(ほうりゅう)したものの他(ほか)に飛来(ひらい)・定着(ていちゃく)するものも多(おお)く見(み)られるようになりました。 水域(すいいき)としての力がつくにつれ、子ども達(たち)の自由(じゆう)な遊(あそ)びや採集(さいしゅう)、そして長靴(ながぐつ)にアミをもった小学生(しょうがくせい)が数十人も参加(さんか)する自然(しぜん)体験(たいけん)学習(がくしゅう)も次第(しだい)に受(う)け入れ可能(かのう)となってきました。トンボや魚(さかな)の捕(と)れる話(はなし)が伝(つた)わって、アミを持(も)った親子(おやこ)の訪(おとづ)れも増(ふ)えてきました。 ビオトープ・イタンキができたここ数年(すうねん)の間(あいだ)にショウジョウトンボ、クロスジギンヤンマ、ハイイロゲンゴロウと、かつては北海道(ほっかいどう)には分布(ぶんぷ)しないとされていた南(みなみ)の昆虫(こんちゅう)が観察(かんさつ)されるようになりました。ビオトープが造成(ぞうせい)された海岸(かいがん)段丘(だんきゅう)の草地(くさち)は海抜(かいばつ)8mですが、ここに、6000年(ねん)前(まえ)、縄文(じょうもん)海進(かいしん)の時代(じだい)の砂浜(すなはま)の跡(あと)が見(み)つかっています。当時(とうじ)は現在(げんざい)より、気温(きおん)が1〜2度(ど)高(たか)く、海面(かいめん)が3〜4m高(たか)かったことが知(し)られています。この時代(じだい)の貝塚(かいづか)のある高台(たかだい)と現在(げんざい)の街並(まちなみ)を見比(みくら)べ、今(こん)世紀(せいき)末(まつ)までの気温(きおん)上昇(じょうしょう)の予想(よそう)値(ち)を聞(き)くとき、1〜2世代(せいき)後(ご)に顕在化(けんざいか)してくる変化(へんか)の大きさが想像(そうぞう)されます。 テレビゲームやパソコンなどリセットボタンひとつで全(すべ)てやり直(なお)しがきくバーチャルな体験(たいけん)に浸って成長(せいちょう)している現代(げんだい)の子ども達(たち)にとって、泥水(どろみず)まみれになってトミヨをすくいアミ越(ご)しにシオカラトンボの羽(はね)のブルブルに触(ふ)れるビオトープでの体験(たいけん)は貴重(きちょう)・有益(ゆうえき)なものであり、さほど遠(とお)くない将来(しょうらい)さらに顕在化(けんざいか)してくる「温暖化(おんだんか)」を克復(こくふく)していかなければならない彼(かれ)らにとって糧(かて)となることでしょう。
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